デジタル掛け軸

宇宙は…あなたです。
D-Kはありとあらゆる小宇宙を調和させてしまう必然性を持つ 目に見ている空間のD-Kには物理的に限度はあるが、心の研ぎ澄まされた人が 本当に目を見開けば、
普遍的な魂の源郷が広がっている、
つまりD-Kは心の鏡で見る芸術なのである だからこそ、私はD-Kを『普遍的な魂の形式』と呼んでいる。平成18年8月23日 長谷川 章

Concept

D-K思想(Digital-Kakejiku)



生命とはなにか?
自分とはなにか?

近代文明の恩恵の中で都市に生きる我々にとって、多様で膨大な情報は利便性と共に、多くの制約を我々に科している。
我々人類の外的環境から伝えられる情報によって、我々自身の中から外に向かって発せられている声が覆い隠されていしまっていると云うことである。
客体化(データ化)された全ての情報を前に、そこで本来主体となるはずの我々自身の生命の存在意義が居場所を失っているのである。

すべては宇宙 = 自分の中にある

我々が忘れている生命の本質とはいったい何なのか。その答えは、「無常」という言葉に答えを探すことができる。これは、我々日本人が古来持っている間をとらえる力である。
この力は、東洋の哲学から生まれた「曼陀羅」や「色即是空」「空即是色」などの思想にもはっきりと顕れている。それは、無我というこ とである。 客体化した物質文明の中にあふれる欲求や煩悩は、物質文明そのものであって、我々の根元的な生命とは異なる。
我々が我々の欲求であると感じてきたものは、我々が近代文明という大きな砦の中に築き上げてきたコンプレックスと言う虚像に過ぎない。主観で生きる人こそが本当の意味で生命の営みと言える。生命の本質 を見るとはそのようなことである。私はいったい何によって自らの存在を決定しているのか。

生命とはなにか。
自分とはなにか。

その答えは,自分自身の中には無い。
「宇宙=自分」主観にあるのである。
現実のキャプチャー時代からデータから現実を生み出す時代へ生命回帰がはじまる。
何も伝えず何も語らずに生命の本質を問う

無我の境地、それこそが、己が自然になった事であり、自然と己がひとつになった状態のことである、なにも持たず、なにも飾らず、なにも語らない。自然の 振る舞いそのものが主観、
つまり生命そのものである。
D-Kはその場に立つものを空にし、時間と空間の束縛から解 放する。

D-Kは何かの表現やシミュレーションではない。
あなたが見た一瞬に生成される不連続なデータであり、いっさいはあなたの中で心の働きが作り出した、あなた自身のの鏡である。
木々が大きくなるのを見ることが出来ないように、D-Kは変化しない。それらはあなたが見た、あなたが感じた一 瞬にのみ存在しているからである。変化を捉えるということは、あなた自身の間を捉えることに他ならない。それは、我々が忘れていた、生命の本質、生命への力に気付くことを意味している。あなたがD-Kを観ているとき、あなたも、その場にいる人々も、場を形作る要素としてその場に溶け込んでいくだろう。

その時、自然と人間はひとつになる。